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第8回リソースマネジメント
プロジェクトマネジメントにおいてリソースとは、プロジェクトの目的を達成するために必要となる資源そのものであり、その中には人だけでなく設備、材料、お金までもが含まれる。しかし、それらの資源には下図に示すように、様々な特徴があり、扱いやすさも異なる。これらの資源の中でもっとも扱いが難しいのは、当然のことながら人である。人のスキルや能力は推し量りにくいものがあり、学ぶことで成長もし、またモチベーションなどという感情的な要素によって生産性が大きく違ってくるからである。さらには、単独でリソースとして考えるだけでは不充分であり、プロジェクトに参加する構成メンバーやリーダーが誰かによっても成果に大きな影響を与えることとなる。
ここでは、リソースマネジメントにおいてももっとも厄介であり、かつもっとも重要な資源である人的リソースについて考えてみることにする。
これまで多くの企業でコンサルティングを行ってきて感じたことであるが、ほとんどの組織において人的リソースの不足が深刻な問題となり、様々な問題を引き起こしている。それは、プロジェクトの納期遅れであったり、品質問題であったり、イノベーションの枯渇であったり、結果として組織に対して多くのビジネス的なダメージを与えている。しかし、なぜ多くの企業において、こうも人的リソースに起因するプロジェクト上の問題が多発しているのであろうか。
その根幹の原因として、組織が抱える人的リソースのキャパシティーと組織が抱えるプロジェクト数のバランスの問題がある。つまり、組織のこなせる能力以上のプロジェクトが実施されているため、水槽から水があふれて出るがごとく、リソース不足によりプロジェクトにおける業務もあふれ出て、そのあふれ出た業務が原因となり、結果的にプロジェクトのトラブルが発生しているのである。
この原因をもう少し掘り下げてみると、大きく2つの問題に突き当たることとなる。一つは人という、非常に能力を推し量りにくいリソースを扱うことに起因する問題であり、もう一つは人の負荷が見えないことに起因する問題である。この2つのことが原因となって、人的なリソースに対しての正しい意思決定ができずに、様々な問題を引き起こしているといっても過言ではないと思われる。
先ずは最初の能力の問題に着目して、その本質を考えてみることにする。一般的にリソース問題を解決するための手法としてスケジューリング(資源平準化)が存在するが、スケジューリングという観点でリソースを見ていくと、そのリソースの本質が良く見える。スケジューリングには、大きく資源制約のスケジューリングと時間制約のスケジューリングの2通りの方法が存在する。
資源制約のスケジューリングは、資源は能力以上に利用できないので、資源を制約条件としての資源の制約に合わせて納期をずらす方法であり、このスケジューリング手法は工場などの生産計画を行う場合によく使われる。 一方の時間制約のスケジューリングは、工程の納期が制約条件であり、必ず納期までには工程を完了することが必達となっており、その工程の納期を守れる範囲の中で工程をずらして、できるだけ資源の負荷を平準化する方法であり、ソフトウエア開発や建設などの一般のプロジェクト計画の立案においてよく使われるやりかたである。
資源制約と時間制約、この違いが出てくる理由はまさにリソースの能力である。生産計画立案において対象となる主たる資源とは設備である。それは、その設備の持つ生産能力と設備を必要とする工程の生産数量ともに明らかなためである。
例えば、1時間に100ケの製品を作る能力の設備であれば、どんなに頑張っても一日24時間で作れる数は2400個と決まってくる。したがって、生産計画はその設備の限界能力である2400個をベースに工程をスケジューリングし、実行可能な計画を立案することになる。具体的に、例えば設備を必要とする 2つの工程(A工程、B工程)が存在し、A工程は2000個、B工程は2800個の製作を計画ししていた場合、設備の能力と工程の要求量からA工程とB工程をあわせて48時間の作業期間を必要津することが容易に割り出され計画は立案される。A工程とB工程を重複させて36時間で仕上げるなどという、物理的に不可能な計画を立案することは有り得ない。これが、一般的に行われている資源制約のスケジューリングであり、トラブル等がなければ、論理的に確実に実施できる計画となっているため計算上は納期遅れなどが発生することは無い。
では、次に人的リソースの状況を考えてみる。人が一日で出来る能力はどのようにして計るのか。実に難しい問題である。生産設備と違って、やるべき作業はバラエティーに富み、それが1日でできるのか、1週間でできるのかを検証することも容易ではない。さらに、人には能力差が存在しており、その能力差は創造的な仕事になればなるほど困難を極めることになる。その生産性の違いは10%、20%程度の差ではなく、場合によっては2倍、3倍という差が平気で発生する。このような能力を見極めきれないリソースを扱う場合、なかなか資源制約のスケジューリングは説得力を持たない。どうしても、決められた期間内で完遂することが求められ、結果として時間制約のスケジューリングが支配的となるのである。
この能力の測りかた難しさは、同時に見積の難しさにもつながっていく。やるべき作業を想定した場合に、2倍も3倍も生産性が異なる人的リソースに対して、必要な工数をどのようにして見積もればよいのかということである。C工程でやるべき業務は明確だとしても、誰がやるかで大きく工数が変わるのである。 100時間で見積もればよいのか、200時間で見積もればよいのか人的リソースといっても、誰かによって大きく違ってくるからである。
さらに、この状態に追い討ちをかけるのが次の問題である、現状の負荷が見えないことである。組織にはプロジェクトが複数存在し、それらが同時並行的に実施されているが、どれほどの組織がプロジェクトの負荷を見ているのであろうか。これまでのコンサルティング経験を通して、プロジェクトの工数を見積もって、全プロジェクトの将来的な負荷を見通している企業は10%も満たないと感じている。その背景には、これまで述べてきた人的リソースの能力の問題があるが、そのことだけでは、リソースの見えにくさの問題は片付けられない。なぜなら、把握しづらいことと、負荷を見ようとしないことは、全く別問題だからである。人的リソースの負荷の問題によって、様々な問題が引き起こされていることは、多くのマネジメントは理解している。だからといって、負荷を見る努力を行わないことはマネジメントとして失格である。完璧な対応はできなくとも、少なくとも問題の原因と状況を把握し、把握した情報によって対策を立て改善することはマネジメントとしての責任である。たとえ精度は粗くても、見えることによって解決できる問題は沢山あるからである。
では、人的リソースの能力が把握しにくい中で、さらに人的リソースの負荷が見えないと何がおこるのであろうか。 結果は明らかである。これこそが多くの組織で起こっていることであるが、組織は自分たちの能力の以上のプロジェクトを動かすこととなる。これはマネジャーの立場と心理状態も大きく影響しているが、マネジャーはその立場から常に高い成果を要求され、大きなプレッシャーの中で仕事をしている。その要求とプレッシャーから、成果を出そうとする意識ができるだけ多くの可能性を持とうとし、なるべく多 くのプロジェクトをやりたいという潜在的な意識がマネジャーの中に存在することとなる。このような状況の中で、忙しい忙しいとは言いながら、人的リソースの負荷が見えない状況においてプロジェクトをやるかやらないかの判断を問われた場合、「やらない」とか「できない」とか言えるものではない。能力も負荷も把握できない中で、「できない」ことの証明は不可能であり、「できない」と言ってしまうと、それこそマネジャー失格との烙印を押されかねない。このような、マネジャーの心理状態が必然的にGOの判断を下すこととなり、結果として組織は能力以上のプロジェクトを抱えることになるのである。
さらに、悪いことにマネジャーの多くは選ばれた人達であり、組織の中でも能力の高い人達である。人の判断において、客観的な情報がない中では、人はどうしても主観的に判断に頼りがちとなる。 そうなると、マネジャーは自分の力量に照らし合わせて、できるかどうかを判断することになる。能力の高い人間が主観的に判断するとなると、結果はおのずから「できる」方向に傾く可能性が高くなる。できる人間ほどその傾向は強く、それがさらなる悲劇をおこすこととなる。いかに客観的に真実を見ることができるか、そして客観的に判断し、強い意思を持って「できない」判断を行えるか、それこそが理想のマネジメントの姿であり、それが実現できたときこそが、人的リソースの根源的な問題が断ち切れることきであろう。
最後に、人的リソースの問題に取り組むときのポイントを付け加えておく。人的リソースの問題において、全ての人的リソースの能力を把握し対応することができればよいが、多くの問題は全ての人的リソースおいて発生しているのではなく、限られたリソースが原因となっている場合がほとんどである。いわゆるキーリソースである。プロジェクトであればプロジェクトリーダーはキーリソースであり、プロジェクトを任せられる人材の存在は非常に大きい。少々、負荷がアンバランスでも、キーリソースさえ確保できていれば、プロジェクトはなんとかなるものである。 リソースマネジメントの問題においては、キーリソースの能力と負荷を把握することが、問題解決の早道となるであろう。